vol.6 茶盌を愛でる

庭に咲く桜の花を、私は今、縁側から眺めている。3カ月にも渡るイギリス取材から帰国して、早ひと月。現地での取材の成果を活かそうと、新作の執筆に取りかかっているのだが…、正直なところ私は筆が遅いのだ。断っておくが、より良い作品を生み出そうと何度も何度も物語を考え直すからであって、遊んでいるわけではない。決して誤解のなき様に。「先生、まだ書けないんですか? 締め切りは今週末ですよ。大丈夫ですか?」お茶を啜りながら、遠慮のない言葉を投げかけてくるのは編集者の夏目君だ。

優秀という評判なのだが、とてもそうは思えぬ。彼は最近しょっちゅう我が家へやってくるが、それは仕事をさぼるために違いないと私は見ている。「君も腕利きの編集者というなら、少しは私の筆が進む様に気を配ってみてはどうだね?」「そういえば、先生はお茶にも興味がおありでしたね。昨日から三越百貨店で『掛け軸と茶盌の展示会』が始まったそうですよ。気分転換に観に行きましょうか?」ほほぅ、たまには良いことを言うではないか。善は急げとばかり、ふたりして出かけることにした。「茶器といってもたくさんあるんですねぇ。あの白い釉薬の作品、とても素敵ですよ。こっちの花びらを描いた作品も今の時期にちょうど合うし…。あの掛け軸の前で、僕もお茶を点ててみたくなりました。

展示会 茶器 掛け軸

こうして一堂に展示されていると、それぞれの作品の特徴が読み取れて、勉強になりますね。でも先生、『茶碗』と『茶盌』はどう違うんですか?」「君も編集者なら、茶の世界を知るべきだ。『盌』は抹茶用の蓋のない茶碗を指すことが多いのさ。また木製のものは『椀』、陶磁器製のものは『碗』と書くことが多い。この程度のことは覚えておきなさい。さらに続けると…」あれ、夏目君が離れて行ってしまった。まぁ良いか、私もひとりでゆっくりと見たかったところだ。結局、白い釉薬の下から赤みを帯びた地が斑に見えている茶盌を購入してしまった。ひと目惚れだ。これで美味しいお茶を楽しむとしよう。いつもなら、屋上にある茶室「空中庵」での一杯を楽しみにしているのだが、今日はさっさと帰宅することにする。

空中庵

その時だ。突然、私の体がグラグラと揺れ始めた。地震だ! と同時に、購入したばかりの茶盌が手を離れ、宙を舞う様子が見えた。「ガシャン!」「あなた、起きてくださいな。まもなく夏目さんが来られますよ」妻の伊代に揺り起こされると、そこはいつもの縁側だった。火鉢の火種は燃え尽きて、もちろんお気に入りの茶盌もない。春眠暁を覚えず、か…

火鉢
日本で初めて美術部を設け、さまざまな工芸品や絵画の展示を行った三越。これまで数多くのお客さまにお越しいただいております。次の展示会も、どうぞご期待ください。
次回の物語も、乞うご期待ください。
三越美術部担当者より
平岡 智:1991年 三越入社新宿三越美術部工芸担当、日本橋三越美術部工芸担当をへて2015年より現職年間を通して日本の各産地に出向き、人間国宝と呼ばれる日本を代表する工芸家から、明日を担う若手作家の作品のバイイングを行う。作家の生の声をスタイリストに伝えるのを信条としている。
2015年末から今年の年頭にかけて開催した「一軸一盌」のような大きな展示会は、2~3年前には企画を立案し、作家の方との交渉を始めます。そして開幕の1年前には会期を正式に決め、作家の方との打ち合わせを重ねて、開幕日を迎えます。三越美術部は110年の伝統があり、巨匠作家から新進作家まで様々な展覧会を催してきました。そのため数多くのお客様から、「さすが三越で行う展覧会には、先生の良い作品が登場する」など、お褒めの言葉をいただいております。長い年月の中で作家の方と信頼関係を築き、良い作品をお借りできること、そして何より三越で個展を開いていただけることが、美術部の大きな特徴であると考えています。そのため展示された作品を鑑賞されるだけに留まらず、その作品の裏に潜む作家の個性や、制作意図なども感じ取っていただければ幸いです。これまで三越美術部は、伝統的でオーセンティックな展覧会を中心に開催してきました。しかし今後はもっと美術の領域を広げ、新しいアートの分野であったり、さらにはもっと身近にアートを感じ取っていただけるような取り組みにも挑戦していきます。ご期待くださいませ。
和田的(あきら)先生インタビュー
「いつかここで個展を」と思い続けた憧れの場所 三越本店で2015年末から16年初頭にかけて、多彩な顔ぶれの作家の茶碗と掛軸を展示する企画「一軸一盌」が開催されました。そのひとり、若手陶芸家の和田的さんにインタビューを行いました。
和田 的(わだ あきら):<略歴>1978年 千葉県千葉市生まれ/2001年 文化学院芸術専門学校 陶磁科卒業 上瀧勝治氏に師事/2005年 窯を持ち独立 日本工芸会正会員認定/2007年 文化庁新進芸術家海外研修員として渡仏/現在 日本工芸会正会員 千葉県美術会理事展示会風景
Q:和田さんと三越美術部とのお付き合いは、すでに10年近いとお聞きしました。どのような印象をお持ちでしょうか?
A:学生時代は、時間があれば三越で催される展覧会に顔を出していました。ひとつのフロアにいくつもの会場があり、陶芸や工芸、絵画、彫刻など、一度にさまざまなジャンルの美術品を観ることができる魅力的な空間だったからです。しかも著名な作家の作品でもガラスケースに入っておらず直視でき、スタッフの方に声をかければ、別の側面からも観せていただけるなど普通の美術館ではあり得ない待遇にとても驚きました。また作家の方に直接お話を伺うことができるなど、私にとっては勉強の場でもありました。そのため、「いつかここで個展を開いてみたい」と憧れたものです。2007年に、ここで初の個展を開くことができた時は、とても感慨深いものがありました。今でもここに来ると、当時を思い出して緊張の余り背筋が伸びるんですよ(笑い)
Q:今回の企画展に、和田さんは茶碗と色紙を組み合わせた『白磁茶碗「ダイ/台」』を出展されました。そこに込めた思いをお話しください。
A:茶碗の方では生と死や心の明暗など、対極にある事象を、彫りをクロスさせることで象徴的に表現しました。一方、それを受けて色紙では、人が生まれてから死ぬまでに刻む「時」を数字として表現しています。今のデジタル時代に合わせ、数字で表現を行ってみた部分もあります。今回一方は磁器、もう一方は紙を素材としていますが、私の場合、何を表現したいのかが明確になれば、陶芸が軸とはなりますが、それを表現するのに最もふさわしい素材を選択したいという希望もあります。
Q:今回の「一軸一盌」は、現代の陶芸界を代表する作家が一堂に集う企画展です。他の作家の方を意識されましたか?
A:私としては、今の自分の思いを作品を通じて表現することが重要だと考えています。そのため個展でも多数の方の作品を並べる企画展でも、自分が何を表現したいのかをよく考えて制作することを重視しています。創作活動は、他の作家との競い合いではありません。自分を深めていくことこそ重要だと考えています。ただ、こういう企画展で他の作家の作品を鑑賞することは、創作活動にとって非常に参考になりますね。表現の多様性に、とても刺激を受けますから。土日は他の先生方がおられますから、声をかけて勉強したいと思います(笑い)
Q:和田さんは抹茶を楽しんでおられますか? 楽しんでおられるとしたら、どのように楽しんでおられますか?
A:茶碗をつくるようになって、自分でも抹茶を楽しんでみようと始めました。抹茶の種類や点て方によって、ずいぶんと味が変化します。その味の違いが面白いですね。また抹茶といえばお菓子が付きもの。この味の抹茶にはこのお菓子、この点て方にはこのお菓子といった感じで、お菓子を選ぶのも楽しいですね。抹茶を始めた理由は、お茶会の中で茶碗がどのように使われているのか、それを知る必要があると考えたからです。茶碗というのは使われることが前提です。だからこそ個性的なデザインだけではなく、使いやすさも追求しておきたいと考えたのです。そのためお茶会に出席した時など、席主の方がどのように進行されるかなど、とても興味深いですし、勉強になります。
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