古今 KOKON vol.4 果物は、たからもの

「丹子どうしたの?コロッケは好物でしょう?」お母様が、首をかしげて私を見ている。一家揃っての晩ご飯。しかもお母様が腕によりをかけてコロッケをつくってくれたのに、私はお箸が進まなかった。尋常小学校から帰ると、なんだか体がだるかった。「食欲がなくて……」と言う私に、「具台でも悪いんじゃないか?」とお父さんが心配した。席を立ったお母様が、私のおでこに自分のおでこをやさしくくっつけた。「あら、少し熱があるかもしれないわ。梅子さん、お医者の岩田先生を呼びに行ってもらえる?」お手伝いの梅子さんにそう言うと、お母様は私の手をとり、部屋へと連れて行った。

かかりつけのお医者様を待つ間、お母様は手早く布団を敷くと、 冷蔵庫 から取り出した氷をかち割って 氷枕 を用意した。そして私を寝かせ、夏布団を肩までかけてくれた。弟の越太郎が「お姉ちゃん、大丈夫?」と心配そうにのぞきこんでくる。やがて、岩田先生が往診に来た。「しばらくぶりだね、丹子ちゃん。また大きくなったようだ」そう言いながら、先生は大きな手で私の手首をとると、静かに脈を測りはじめた。そして、最後に私のおでこに触れると笑顔で言った。「うむ、軽い夏風邪だね。奥様、心配はいりません。二、三日ゆっくり休めば、すぐ元気になりますよ」明日は日曜日なのに、寝てなきゃいけないのか……。私は心の中で少し残念に思った。翌朝、目を覚ますと、昨日よりも体が軽くなったような気がした。「起きたのね。気分はどう?」お母様が私をのぞき込む。一晩中付き添って、桶の水で冷した手ぬぐいを私のおでこにのせてくれていたのだった。一旦、部屋から出ていったお母様が、おかゆを持って戻ってきた。

デパートメントの食品階 長命寺桜もち

その後ろから、越太郎も部屋に入ってくる。そして、おかゆを食べる私を物珍しそうに見つめた。「おかゆって、おいしいの?」「おいしいわ」「お姉ちゃんだけずるいよ」おかゆを食べたそうにしていたが、「お姉ちゃんは病気だから特別なのよ。さあ、あなたも朝食を食べてきなさい」とお母様に言われて、越太郎はいじけたように部屋から出て行った。午後になると、お祖母さんがお見舞に来てくれた。手には いろいろな果物がたっぷりと盛られた籠 があった。それを私の枕元に置くと、「丹子ちゃん、これを食べて栄養をつけるんですよ」とお祖母さんが言った。食べたいものはあるの?と聞かれ、私は迷わず、バナナ!と答えた。バナナは、いつでも食べられるものじゃない。子どもにとって、とびっきりの憧れなのだ。お母様が、台所でバナナをひと口の大きさに切り分けて、持ってきてくれた。そして、ガラス皿にのったバナナをフォークでさし、私の口に運んでくれた。やわらかくて、甘くて、おいしい!

煎茶 塩瀬総本家の志ほせ饅頭 木村屋總本店の酒種あんぱん

思わず笑顔になる私を見て、越太郎が「ぼくもバナナ!」と言う。「バナナは病気のお姉ちゃんにあげましょうね。後で一緒に、いただいたさくらんぼを食べましょう」そうお母様に言われると、越太郎はふくれっつらになって、果物籠をうらめしそうに見つめた。その夜、一人で眠っていた私は、「ガタンッ」という、突然の物音で目を覚ました。「みしり……みしり……」暗闇の中から、何かが近づいてくる。「きゃ〜っ!」私は頭が真っ白になって叫んだ。お父さんとお母様が駆けつけてきた。パチッと電気がつくと、果物籠の前に誰かがいる。それは、バナナを両手に持って頬張る、越太郎だった……。

さまざまな果物が手軽に食べられる現代とは違い、大正〜昭和初期には、特別な時にしか食べられない果物がありました。当時の子どもたちの目線から見た果物の貴重さや、時代の移り変わりを感じてみてください。
次回の物語も、乞うご期待ください。
現在人気のフルーツと、その楽しみ方
サン・フルーツの店頭に置かれ、お客さまの手に取っていただけるフルーツカード。裏面には果物の説明や食べごろ、保存の仕方などを記載
サン・フルーツ 担当者よりサン・フルーツは戦後すぐから三越日本橋本店で果物を販売しています。ご用途はもっぱら贈答用でした。かつては「大ぶりで色がよく、立派なもの」が好まれましたが、現在は「少量」「甘い」「小分け」「食べやすい」という方向に変わってきました。たとえばミカンでは10キロ箱が主流でしたが、最近では3~5キロ箱が中心です。S~Mサイズの味の濃いものも喜ばれています。サクランボやイチゴなどナイフなしで手軽に食べられるものも人気です。果物を傷つけず、食べやすい量に小分けできる梱包材も発達しました。海外のお客さまには、「日本の果物を食べると、自国の果物が食べられなくなる」といったお声をいただくほど、日本の果物の生産、品種改良の技術は高度です。サン・フルーツでも各生産地と品種改良に携わっており、正式な名前がつく前に日本橋のお店でお客さまにご紹介することもあります。皮ごと食べられる「シャインマスカット」はその一つです。
前田 大介 リビング統括部リビング第1商品部/キッチン・エプロン・スリッパアシスタントバイヤー/2008年 新潟三越伊勢丹入社。2014年より現職。調理器具や調理家電を通じて、お客さまの豊かな食生活のお手伝いを致します。
リビング担当バイヤーより昔は、体によいものは多少おいしくなくても仕方がない、という考え方もありましたが、現在ではさまざまな技術開発により、体によいものをおいしく、手軽に摂取出来るようになってきました。また、ローフードなどの美容・健康をテーマにしたフードスタイルの広がりからも、野菜やフルーツの楽しみ方が変わってきています。今人気が高いのは、野菜やフルーツを丸ごと余すところなく粉砕し摂取できるミキサーや、ゆっくり時間をかけて搾ることで栄養価の高いジュースを作ることができるジューサーです。いずれも、お客さまの生活の中でどのように商品機能や使い勝手のよさが活かせるかをお伝えしながらご提案しています。

三越はじめて物語 日本で初めて三越が行った取り組みをご紹介します。

1949年 日本初のフルーツ・ジューサー試運転・試飲会昭和24(1949)年11月、三越日本橋本店の食料品・果物売場で、日本初となる「フルーツ・ジューサー」の試運転と試飲会が開催されました。これは、戦後4年目だったこの年の10月に果物の統制が解除されたことを受け、フルーツの販売拡大を狙って催されたもの。「フルーツを国民の皆さまにもっと食べていただくには、従来の“食べるフルーツ”から、“飲むフルーツ”にする必要がある」という発想を持った、サン・フルーツの始祖である石塚富三氏と子息の石塚保氏が仕掛人でした。ジューサーは、プロペラの技術を持つことから、軍用飛行機を製造していた航空機メーカーによって試作されました。(参考文献「競り人伊勢長日誌 やっちゃ場伝」神田川菜翁著 農経新聞社発行)
 
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