古今 KOKON vol.2 年の瀬・新年、奥様は忙しい…!

春が近づいている。窓から差し込む、柔らかな午後の陽射しを感じながら、私は書斎で、推理小説の執筆を続けていた。珍しく筆がよく進んだが、ふと口寂しさを覚えた私は、何か甘いものを用意してもらおうと思い立った。台所へ向かうと、お手伝いの梅子さんが、夕飯の支度に取りかかろうとしている。「梅子さん、何か甘いものを…」「あ、旦那様。ちょうどよいところでした。今しがた、旦那様宛にこちらが届きました」そう言って渡されたのは、立派な毛筆でしたためられた一通の手紙。差出人は、小説家の先輩である林氏だった。封を開けると、仰々しい大きな文字で『招待状』とある。一週間後に、作家仲間を招き、林邸の庭で花見会を開く、というものだった。私の目が留まったのは、最後に添えられた次の一文だった。「なお、各氏自慢の甘味を持ち寄られたし」

「ふうむ、自慢の甘味か…」私は手紙を手に、ぼんやり考えながら、居間へ向かった。居間では、妻の伊代が娘・丹子と息子・越太郎に本を読み聴かせていた。隣の椅子に腰かけた私は、頭の中にいつも行く デパートメントの食品階を思い浮かべ、あの大福は旨かった、この煎餅も捨てがたい、あっちのどら焼きも悪くないな、などと記憶に残っているお菓子のことをあれこれ考えた。そんな様子に気付いたのか、伊代が「あなた、そんなにニヤニヤして、何を考えていらっしゃるの?」と聞いてきた。私が林氏からの招待状を見せると、しばらく考えたのち、「それなら、以前、お義父様が手土産にくださった長命寺桜もちはどうかしら?」と伊代が言った。「なるほど。あれなら、花見に持ってこいだな」

一週間後、花見会の日が来た。今朝、買い求めたばかりの桜もちを、このために用意した淡い桜色の風呂敷に包み、私は林邸へと向かった。この日参加したのは、林氏と私のほか、四名の男性作家たち。いずれも食通を自認して憚らない、曲者揃いである。林邸の庭には、一本の桜の木が満開に咲き誇り、その下には緋毛氈が敷かれていた。我々五名の客人をそこへ座らせると、すぐに煎茶が運ばれた。そこで林氏が、「では、誰の甘味からいただきましょうか?」と一同を見回した。私はすかさず立ち上がり、「この時季にふさわしい、長命寺桜もちをご披露いたしましょう」自信たっぷりに風呂敷包みを広げた。「皆さん、桜の葉を剥がして、ひと口食べてみてください。桜の葉の香りが、程よい甘さの餡と絶妙に重なり合う。この趣の深さは、ちょっとほかには見当たらないでしょう」桜もちを食べながら、私の講釈に感心する一同。しかし間髪を入れずに、「餡を語るなら、この塩瀬総本家の志ほせ饅頭を抜きにはできないでしょうな」と客人の一人が立ち上がった。さらに続いて、「木村屋總本店の酒種あんぱんは、餡も然ることながら、酒種酵母の生地と桜花の塩漬けが素晴らしい」という新たな意見や、

「小豆ではなく、金時大角豆にこだわる榮太郎總本舗の甘名納糖をお忘れでは?」という問題提起も。挙げ句の果てには、「羊羹なら、とらやの夜の梅。竹皮を剥いて、一本丸かじりする時ほどの幸せは、この世にない」と豪語する者まで現れた。「やはり桜もちですな」「いいや饅頭だ」「あんぱんに決まっている」「甘名納糖が一番」「羊羹にとどめを刺すでしょう」桜の下、男たちが揃いも揃って、自分の甘味を自慢し合った。その時、黙って議論を見守っていた林氏が動いた。手にはいつの間にか、ご飯が入った茶碗と、何の変哲もない饅頭があった。林氏は饅頭を手で四つに割ると、なんとご飯の上に乗せ、煎茶をかけるではないか。そして、まるでお茶漬けのように、さらさらと口の中にかき込んで一言、「ああ、饅頭茶漬けが一番で決まり」言葉を失う一同を尻目に、林氏はさも旨そうに、この奇妙奇天烈な甘味を食すのであった。

今も昔も、お正月は一大イベント。大正〜昭和初期にかけて三越ではどのような商品をご提供していたのか、また、当時の女性がどのような年末年始を過ごしていたかを物語を通じてご紹介します。
「文化人が愛した和菓子」イベント

2015年3月4日(水)〜17日(火)に、日本橋三越本店・本館B1フードコートにて、「文化人が愛した和菓子」イベントを開催。著名な文学者や画家など、強いこだわりを持つ文化人たちが贔屓にしたお菓子に季節感を加え、新作和菓子としてご紹介しました。上記の物語に登場した「饅頭茶漬」は、実は森鷗外が好んで食べたもの。今回特別に、この甘味を和菓子店が再現し、店頭にて販売しました。

田口東プロフィール」
担当バイヤーより今回のイベントは、日本橋三越本店が目指す「カルチャーリゾート百貨店」にふさわしい企画として、長年愛されている和菓子にスポットを当てました。森鷗外は三越呉服店「流行会」のメンバーの1人であり、三越に大変ゆかりの深い人物。そうした人物が好んだ食べ物として、今回は「饅頭茶漬」を人気の和菓子店に作っていただき、お客さまにも文豪の愛した明治時代の甘味をお楽しみいただきました。このイベントを通して、現代のように多種多様なお菓子をお店やネットで簡単に手に入れることができない時代に、文化人たちがこだわって和菓子を食していたことがわかり、彼らの和菓子への強い情熱を感じました。
和菓子は作り方も素材もシンプルなものが多いですが、味わいの細かな違いをブランドの特長として楽しんでいただきたいと考えています。
「文化人が愛した和菓子」イベントでご紹介した〈KITAYA六人衆〉饅頭茶漬
文豪・森鷗外が好んだ「饅頭茶漬」ドイツに留学していたことのある鷗外は、帰国後も洋食をはじめ、ハイカラな食べ物を好んだそうです。そんな鷗外が好んで食べた物のひとつが「饅頭茶漬」。葬式饅頭を手で四つに割り、一つをご飯の上にのせ、熱い煎茶をかけてお茶漬風に食べるのが好きだったといいます。

三越はじめて物語 日本で初めて三越が行った取り組みをご紹介します。

左:東京の新名所として話題をさらった、地下1階、地上5階の新館。右:1階と2階をつないだ、日本初のエスカレーター
1914年 三越日本橋本店「ルネッサンス式新館」落成  大正3(1914)年9月15日に完成した新館。白レンガに装いを
こらしたルネッサンス式の建物は、「スエズ運河以東最大の建築」とも称されました。店内には日本初となるエスカレーターのほか、当時の最新設備が結集。また、食品部、茶部、鰹節部などが誕生し、近代百貨店として新たな一歩を踏み出しました。
 
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